2012年8月24日金曜日

思い出のビーチ

8月、石川さんの連れ合いである早智子さんの故郷、
徳島におじゃました。
めったにない夏休み。
支援している人もきっと「たまにはゆっくり休んで」と
思っているはずだが、本人たちはなかなか心から休んだり
楽しんだりすることができない。

徳島は2人がリラックスできる場所。

そんなところに撮影でじゃまするのはとても気がひけるのだが
そんなひと息ついている様子を撮りたいと思ってしまう。

未完成の予告編にも登場するように
去年は川遊びと剣山に登るところを撮影。
いつもと違う2人の笑顔を見ることができた。

そして今年は石川さんが仮出獄後はじめて泳いだという
思い出の月見ヶ丘の海に2人と一緒に行った。

懐かしそうに海を見つめる2人。
なんだかうらやましくも思もえた。

無実を勝ち取り、部落差別をなくしたいという共通の想いが
2人の絆を深めているのかもしれない。

もちろん冤罪などあってはならない、
でもその強いられた人生のなかにあっても美しく輝くものがきっとある。

決して美化するわけではないが
闘う姿もまた美しい。

よし、美しい映画をめざすぞ!

写真は月見ヶ丘、撮影の様子。


2012年5月27日日曜日

49年

「49年、私にとっては短かった。そう思っていた。
でも23日は一生懸命あの日のことを思い出そうと思ったけど思い出せなかった。
やっぱり49年って長いのかもしれない。」

昨日、取材中にポツンと石川さんがつぶやいた。

1963年5月23日は、狭山事件の石川一雄さんが逮捕され日。
いうまでもなく49年は長すぎる。
足利事件、布川事件など、冤罪事件の無罪判決。
次は狭山だと自身も思い、支援の勢いもましている。
しかしその一方でなかなか状況は前に動かない。

次回の三者協議は10月。
今年中の再審開始は現時点で難しいと判断せざるをえない。

「私の無実は決まっている。後はそれがいつ証明されるかだけ、
だから焦る必要はない。不屈の石川一雄ですから、大丈夫。」

笑顔が戻った後は獄中のなかの話を楽しく話してくれた。

死刑囚は独房で鳥を飼えるらしい。
なれた文鳥などは独房のなかの駕籠から出て死刑囚と遊ぶのだそうだ。

ちなみに石川さんは独房の外にやってくる雀にえさをあげるのが楽しみだったそうだ。

取材を終えて帰るとき石川さんはこういってくれた。
「いつも来てくれて申し訳ない、無罪になれば映画もヒットするからがんばります。」

こちらこそいつもおじゃまさせていただき感謝です。

おまけに早智子さんが徳島のわかめと狭山茶をお土産にくれた。


2012年4月15日日曜日

さくら

「石川さんは花見行かないのかな?」と思って家を訪ねてみた。
「せっかく撮影にきてくれたんだから花見に行きましょう…」
そういってくれて近くの公園に愛犬とご夫婦で出かけた。
満開のさくらの下でひと時の普通の時間を過ごす。
無実を訴えつづけて49年。数字だけでもびっくりするが
その日常は想像以上にしんどいと思う。
もちろん無実が晴れない苦しさ、闘い続けるしんどさなど…。
それを支えているのが支援者の暖かい応援だ。
しかし同時にその応援に答えようとする石川さんたちがいる。
例えばゆっくり花見を楽しもうという気持ちにならないのだ。
「申し訳ない…」そんな気持ちが先に立つようだ。
でも我々に決して愚痴をこぼさない。私がそう感じるだけだ。
「おかげさまでゆっくり久しぶりに花見ができました」
もし我々撮影隊が行くことで、
時としてゆっくりとした時間が過ごせるのならばそれはとてもうれしいことだ。
闘う石川さんだけではなく普通の何でもないひと時を撮影していきたい。

2012年2月25日土曜日

311

もうすぐ311から1年がたつ。

私自身はその日ベトナムで撮影をしていた。
少しずつ入って来る情報に愕然とした。
帰国後も誰もがそうであったように何をしてよいのか、
ただテレビにかじりつき涙を流すだけだった。

震災3ヶ月後はじめて宮城県の亘理町に
「ドキュメンタリーもつくれる支援物資隊」という
先輩の応援で撮影に参加した。

車でだんだん沿岸部に近づくと自然に会話がなくなり、
音が消えテレビを通してみていた風景が直接目に飛び込んで来る。
しばらくここで何が起こったのか、わかっているけど、わからない、
釈然としない、現実を認めたくない、そんな想いでいっぱいだった。

11月には3週間NHKの取材で50人くらいの被災者に話を聞く機会があった。
あたりまえだが一人ひとり抱える現状は違っていた。

自分の生き方が問われた気がした。
いっぱい考えたけどよくわからない。
でもつきなみだが毎日を大切に家族を大切に、
となりのおばちゃんや近所のこどもたちに想像力を持って接しようと思う。

仙台の後輩がつぶやいていた
「1年目のその日はすべてをそっちのけで震災一色なる。
これもメディアの暴力かも…」

私もその日撮影に出かける。
ずっと追いかけている「狭山事件」の石川一雄さんを訪ねる。
彼にとっての311は48年前のその日に死刑判決がくだされた日。

忘れないようにその日を記憶したい記録したい。
東北で出会ったひとり一人に想いをよせながら。

2012年2月6日月曜日

今年こそ!

撮影をはじめて1年。ようやく石川一雄さんと打ち解けてきたように思う。昨年はどうしても集会などが中心で、「闘う石川さん」以外の部分がなかなか見えて来なかった。でも夏にパートナーである早智子さんの実家、徳島におじゃましたくらいから少しずつ距離が近づいたように思う。一緒に山に登り、川で遊び、バーベキュー…。徳島では「狭山事件」の話ではなく早智子さんとの出会いや恋の話を意識して聞いた。照れながら話したりリラックスしたなかでの石川さんの笑顔はなかなか素敵だった。今年の1月14日は石川さんの73回目の誕生日。1日も早く再審がはじまることを祈りたい。今年も石川さんに撮影という形で寄り添う。