2012年2月25日土曜日

311

もうすぐ311から1年がたつ。

私自身はその日ベトナムで撮影をしていた。
少しずつ入って来る情報に愕然とした。
帰国後も誰もがそうであったように何をしてよいのか、
ただテレビにかじりつき涙を流すだけだった。

震災3ヶ月後はじめて宮城県の亘理町に
「ドキュメンタリーもつくれる支援物資隊」という
先輩の応援で撮影に参加した。

車でだんだん沿岸部に近づくと自然に会話がなくなり、
音が消えテレビを通してみていた風景が直接目に飛び込んで来る。
しばらくここで何が起こったのか、わかっているけど、わからない、
釈然としない、現実を認めたくない、そんな想いでいっぱいだった。

11月には3週間NHKの取材で50人くらいの被災者に話を聞く機会があった。
あたりまえだが一人ひとり抱える現状は違っていた。

自分の生き方が問われた気がした。
いっぱい考えたけどよくわからない。
でもつきなみだが毎日を大切に家族を大切に、
となりのおばちゃんや近所のこどもたちに想像力を持って接しようと思う。

仙台の後輩がつぶやいていた
「1年目のその日はすべてをそっちのけで震災一色なる。
これもメディアの暴力かも…」

私もその日撮影に出かける。
ずっと追いかけている「狭山事件」の石川一雄さんを訪ねる。
彼にとっての311は48年前のその日に死刑判決がくだされた日。

忘れないようにその日を記憶したい記録したい。
東北で出会ったひとり一人に想いをよせながら。

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