2014年5月31日土曜日

劇場公開!

映画は映画館で観るものである。

あたり前だがこれがなかなか難しい。

一般公開から半年、自主上映を中心におよそ200カ所で
上映を重ねた。製作段階でカンパをつのったこともあり、
まずはその方たちに観てもらおうと自主上映を先行したのだ。

200カ所というのはドキュメンタリー映画としては
異例の数だといえる。

そんな中から最初に劇場でやりたいと声を上げてくれたのが
山梨県のテアトル石和。
通常は自主上映をやった映画はいやがられる。
しかしテアトル石和の専務は決死の思いで最初の劇場公開を決めてくれた。

石和温泉駅から車で6分、畑やポツンとある住宅の田舎道に
たたずむ映画館は哀愁が漂っている。
人懐っこい猫が迎えてくれる。

5月25日の日曜日に舞台挨拶に映画館を訪ねた。
専務が申し訳なさそうにお茶を出してくれた。
「もう少し集まると思ったんですけど…」

観客は2人。
「ちくしょう!」と一瞬思ったが
確実に2人に映画が届いたことをかみしめた。

20分間あいさつをさせていただき、
専務と映画を応援してくれているT夫妻と記念写真。
「できることをやりましょう」と語り合い映画館を後にした。

今日から東京ポレポレ東中野で劇場公開がはじまる。

テアトル石和でも1日2回の上映がつづく。

なにはともあれ
自分の映画が映画館で上映される。

金聖雄









2014年4月9日水曜日

2人のVサイン


 袴田事件再審決定の翌日、石川さんと一緒に
袴田さんの姉、秀子さんに会いに行った。
後楽園ホールの玄関で待っていると
満面の笑みを浮かべた秀子さんが現れた。
2人は固く握手を交わし喜び合った。
石川さんはいつも「おめでとう」とは言わない。
なぜなら「当然の権利だから」と権力に怒る。

 「堪え難いほど正義に反する」
「捜査機関が証拠を捏造した疑いがある」

2014327日袴田事件の再審をめぐる判決も
本当ならば当然といっていい。
しかし権力のメンツや先輩たちのこれまでの決断を
覆せないという悪しき組織論理の中で、
村山裁判官がくだした決断は歴史に残る判決だと思う。

 48年間、想像することができないほどの苦しみ、
絶望をあじわってきた袴田さん。
ようやく釈放された時「解放されたんだ」と
ポツリつぶやいたと秀子さんがうれしそうに語っていた。

 331日検察は即時抗告し再び袴田さんを拘禁しようとしている。
これはいわば公の場でおこなわれている殺人予告のようなものだ。
恥を知って欲しい。
 一方心温まる話に救われる。
後楽園ホールには袴田さんを支援するボクシングの仲間たちが
「戻ってきた時にゆっくりボクシングを観て欲しい」と
“袴田シート”がもうけられている。
さらにWBCが名誉チャンピオベルトを贈った。

リングサイドで袴田さんがボクシングに熱狂する日が
1日も早く実現することをせつに願う。

 玄関で写真撮影。石川さんと秀子さんは
Vサイン”をして写真におさまった。

それにしても81歳、秀子さんの肌はつやつや!
75歳、石川さんも若々しい。

「無実を勝ち取るまで死ねない!」
そんな執念のようなものを身にまとい、
2人は輝いて見えた。


次こそ石川さんだ。

2014年3月18日火曜日

映画に乾杯!


 映画を観終わった後、時々思いっきり褒め言葉のつもりで
「ストーリーがなくて良かったよ!」なんて言われることがある。
実はけっこうショックを受けている。

こちらとしては例えば最初のシーンで驚いてもらって、
ここで笑って、途中ちょっと退屈して、それからあそこではジンときて、
考える時間があって、深く胸に染み入る…。
なんて一応考えてつくっている。

こちらの意図など関係なく印象に残るシーンも人それぞれ。
でもだからこそ映画はおもしろいし可能性に満ちあふれている。
映画を観るひとり一人がスクリーンから好きなことを感じとる。

 このところ自主上映に呼んでいただいて各地を回る。
みなさんの反応が楽しみだ。
上映の場所や条件はさまざま。
20人のカフェから2000人の大ホールまで、
同じ映画を違う空間、違う人たちと私有し合う。
大爆笑に涙をすする音、感情をむき出しにした上映会もあれば、
水を打ったようにシーンとしたままの上映会もある。
「みんなどんな風に感じているんだろう?」できるならば、
ひとり一人の心の中を覗き込んでみたい衝動に駆られる。

 上映後、一番多い質問は「あのひまわりにはどういう意味があるんですか…」
ずるいかもしれないが「それは秘密です」と答えるようにしている。
もちろん私なりの思いはある。適当につくっているわけではない。
でも言うときっとおもしろくない。
映画を観終わった後に私の知らないところで一杯やりながら
“ひまわり”をめぐっていろんな会話が生まれたとしたら映画冥利につきる。


 毎回思うが私は自分の映画を愛している。
だから映画を観るときは一番の観客になりたい。
思いっきり笑って泣いて…。
そしてエンドロールが終わったら惜しみない拍手をおくるようにしている。
私自身もう何十回と観ているが毎回感じ方が違う。

実におもしろい。 

映画に乾杯!



吉祥寺 カフェ麻よしやす

2014年1月21日火曜日

冤罪もリニアもいらん!

”桃源郷”というのがどういうものかよく知らないが
大鹿村というところはそんな言葉が似合うような気がする。

新年招かれ、おじゃました小さな集落は自治会長が
イギリス人という不思議な村。

ゆったりとした時間が流れる中、ぼちぼち住人たちが集まって来る。
若い!まったり始まった新年会で映画「SAYAMA」を
めぐるステキな出会いは前回書いた。
もう一つの話題はリニア。

新年会の場所は玄関から南アルプスの山々がまるで
絵画のように広がる場所。

そこになんとリニア通るというのだ。

景観が損なわれることはもちろん、
南アルプスの自然を根本的に破壊する。
地下を深く掘る、掘った土砂をどこにやるのか、無人運転、
電力が莫大に必要、そもそもとてつもないお金をかけて
自然に逆らい、そんなに急いでなにがしたいのだろう。
ここまでくると滑稽だ。

しかしそんなことが現実として着々と進んでしまっている。

リニア、原発、辺野古、冤罪被害…。

見過ごせないことが多すぎる。

「なんとか大鹿村を守らなければ…」
熱く語る住人たちの思いに心が揺さぶられた。

なにができるのかはわからないが、
まずは大鹿村のことを思い続けようと思う。






2014年1月8日水曜日

映画「SAYAMA」の旅

なんとまぁ、一年半ぶりのブログ。
ずぼらをお許し下さい。

ホームページもリニューアルしたので
気持ちを切り替えて時々つぶやきます。

お付き合い下さい。

 2013年10月4日に、はじめて試写会を行い
まずは石川さん夫妻によろこんでもらったことは
つくり手としてなによりうれしかった。
さらに同じ映像を仕事にしている方たちからも好評。
映画として少しずつ評価をしていただいている実感がある。

手塩にかけて生み育てたこども(映画)が
最近ひとり歩きをはじめたようだ。

新年そうそう、そんなことを思わせるうれしい出来事がふたつもあった。

ひとつは20歳の娘が留学先のカリフォルニアから
カナダのバンクーバに私の友人を訪ねお世話になった時の話。

大晦日の日にスケートに行きそこで出会った日本人女性と意気投合し
その方のお宅におじゃまし年越しをすることになったそうな。

衛星放送でNHK紅白歌合戦みながらおしゃべりをしていると、
ひょんなことから私の映画の話を娘がしたらしく、
するとそのお宅のお父さんが「ひょっとしてその映画知っている!」と
映画のことが掲載されている雑誌をもってきて盛り上がったそうだ。

そしてカナダ上映を実現しようということになったというお話。


 もうひとつは映画「大鹿村騒動記」の舞台になった。
長野県大鹿村の旅舎右馬充(うまのじょう)という素敵な宿に
1月2日〜3日にいった時の話。

ほぼ1年ぶりの休みを満喫。
実は旅舎右馬充(うまのじょう)さんはカンパをしてくださるなど
映画を応援してくれている。

その宿を中心になって切り盛りしている長女のKさん。
地元を愛し高齢でもがんばる農家を支え、村の伝統を守り、山の植物にも詳しく
ラジオのDJもやるというパワフルで素敵な方。

そのKさんの誘いで地元の若者たちの新年会におじゃました。
美しい自然と隣り合わせの集落の古い家に若い人たちがぼちぼち集まってくる。
そこにやってきたのが家の主のお母さんであるMさん。

なんと偶然にも私のことそして映画のことを知っていたのだ。
話を聞くと若い頃、狭山事件にふれて特別な思いがあるという。
あまりの偶然に、いや彼女の言葉を借りるなら”必然”に感動して
涙を流しながら必ず上映会をやろうと約束した。

映画がカナダにいる、大鹿村にいる人たちをつないでくれたと
言うおもいでいっぱいだ。
きっと日本のどこかで世界のどこかで同じ思いを持っている人たちが
いると思うと勇気づけられる。

一方で桃源郷といわれる美しい大鹿村で
見過ごすことの出来ない困ったことがおこっている。

つづく。